H T M I
「※HTMI(母の誕生日にマッサージをしてといわれた)シリーズ」
こんにちは。
ブラック企業に務めながら
ダブルワークをしていて、
むかし懐かしいファミコン
(FC)がしたくても、
なかなか時間が取れない
元FCゲーマーのナカジです。
50代半ばのおっさんです。
前回の HTMI #3 では、
私が20代後半でなぜマッサージの世界に飛び込んだのかを書きました。
地元メーカーの営業を辞めて、
「ビッグになりたい」
「自分の店を持って稼ぎたい」
そんな夢を見ながら飛び込んだ世界でした。
でも現実は、思ったようにはいきませんでした。
今回は、その続きです。
体がもたなくなったこと。
気持ちが折れたこと。
そして、長い間「失敗だった」と思っていた修行が、
何十年後に少し違う意味を持った話を書きます。
- 半年を過ぎた頃から、腰に違和感が出始めた
- 施術の姿勢すらつらくなり、体がもたなくなっていった
- 針治療でも重症扱いされ、自分でも限界を感じた
- 働けない私に向けられたのは、心配ではなく罵声だった
- 「ただ飯ぐらい」と言われ、痛んだご飯を食べさせられた日
- 体だけでなく、気持ちまで折れた
- 腰さえ壊さなければ続けられたのに、という悔しさ
- おじさん夫婦の家を離れた時、私はほっとしていた
- 親戚の家には世話にならない方がいいと痛感した
- もうマッサージ店をやりたいとは思わない理由
- それでも体で覚えたことは、母を助ける時に残っていた
- 「ありがとう」と言われて初めて、無駄じゃなかったと思えた
- 代償は大きかった。でも今の私には少しだけ人を癒せるものが残った
- まとめ
半年を過ぎた頃から、腰に違和感が出始めた
マッサージの世界に入って、最初の頃は必死でした。
左右の手を同じように使えるようにする。
体力もつける。
お客さんに喜んでもらえるようにする。
そうやって何とか食らいついていました。
でも、半年を過ぎた頃から、少しずつ腰に違和感が出始めました。
最初は
「ちょっと疲れているのかな」
くらいだったと思います。
でも、その違和感はだんだんはっきりしてきました。
お風呂で湯船に入って、
腰を浴槽に押し当てると鈍い痛みが走る。
そんな状態になっていきました。
あの頃は、まだ
「そのうち治るかもしれない」
と思っていた気もします。
でも、現実はそう甘くありませんでした。
施術の姿勢すらつらくなり、体がもたなくなっていった
マッサージの仕事は、思っていた以上に腰にきます。
施術中は、どうしても前かがみになったり、
腰を折るような体勢が続いたりします。
その姿勢が、だんだんつらくなっていきました。
痛みのせいで、思うように体が動かない。
着替えすらしんどい。
そんな状態になっていきました。
普通に立つ、座る、かがむ。
そういう動きにも痛みが入ってくると、
かなりきついです。
技術の問題ではなく、まず自分の体がもたない。
その現実を前にして、私はだんだん追い詰められていきました。
針治療でも重症扱いされ、自分でも限界を感じた
他のマッサージ店で針治療をしてもらったこともありました。
でも、その時に言われたのは、
「腰の1か所に疲れがたまりすぎている」
というようなことでした。
いわば、重症扱いです。
その頃には、おしっこの時に下を向くのもしんどいくらいでした。
腰を少し動かすだけでつらい。
それくらいまで来ていました。
ここまで来ると、さすがに自分でも
「これはまずい」
と思います。
続けたい気持ちはありました。
せっかく飛び込んだ世界です。
ここで終わりたくない気持ちもありました。
でも、体は正直でした。
働けない私に向けられたのは、心配ではなく罵声だった
その頃、私は叔父さん夫婦の家に同居させてもらっていました。
本来なら、体を壊して働けなくなりそうな時、
少しは心配してもらえると思いたいところです。
でも、現実は違いました。
私が「マッサージができない」と伝えると、
返ってきたのは心配の言葉ではなく、きつい言葉でした。
「なまけ心や」
「そんなもん気合い入れたらできるやろ!」
「あんたの気持ちが弱いからや」
そう言われました。
今でもはっきり覚えています。
あの時ほしかったのは、
気合い論じゃありませんでした。
痛みを抱えた体に対する、
少しの理解だったと思います。
でも、向けられたのは罵声でした。
「ただ飯ぐらい」と言われ、痛んだご飯を食べさせられた日
気持ちが折れる決定打になったのは、
言葉だけではありませんでした。
働けない状態の私に向かって、
「ただ飯ぐらいや」
と言われたことがあります。
しかも、痛んだご飯を食べるようにさせられました。
今こうして文字にすると、かなりきつい話です。
でも、その時の私は現実にそれを受けていました。
うまくいっている時はまだいい。
でも、うまくいかなくなると立場が変わる。
その冷たさを、私は身をもって知りました。
この出来事は、あとになってもかなり強く残りました。
体の痛みだけじゃなく、
人との関係でも追い込まれた感覚がありました。
体だけでなく、気持ちまで折れた
腰の痛みだけなら、
もしかしたら何とか踏ん張れたかもしれません。
でも実際には、
体もつらい。
働けない。
責められる。
居場所も苦しい。
そこまで重なると、さすがに気持ちまで折れます。
私はその頃、もう
「続ける」
というより
「これ以上は無理だ」
というところまで来ていたのだと思います。
人は体だけで折れるんじゃなく、
心も一緒に削られるんだなと、
あの時の私は身をもって知りました。
腰さえ壊さなければ続けられたのに、という悔しさ
それでも悔しさはありました。
私は、ここでもまた物にならなかったのか。
そんな思いがありました。
もし腰さえ壊さなければ、続けられたかもしれない。
もう少し頑張れたかもしれない。
店を持つ夢に近づけたかもしれない。
そういう
「たられば」
は、やっぱり出てきます。
だから、辞めることになった時は悔しかったです。
情けなさもありました。
飛び込んだ時は、あんなに夢を見ていたのに。
結果としては、また途中で終わってしまった。
あの時の私は、そう受け止めていたと思います。
おじさん夫婦の家を離れた時、私はほっとしていた
不思議なもので、悔しさや情けなさがある一方で、
ほっとした気持ちもありました。
叔父さん夫婦の家を離れた時、私は
「やっとここから出られる」
という気持ちになったんです。
もちろん、修行を続けられなかったこと自体は悔しかったです。
でも、あの環境から離れられることには安堵がありました。
それだけ、心も消耗していたんだと思います。
マッサージの技術を学ぶことと、親戚の家に世話になること。
この2つは別のしんどさとして重なっていました。
親戚の家には世話にならない方がいいと痛感した
この経験を通して、私は強く思いました。
親戚の家には世話にならない方がいい。
もちろん、全部が全部そうとは言いません。
でも少なくとも私にとっては、そういう教訓になりました。
赤の他人の方が、ある意味で気を使い合えることもあります。
でも親戚は近いぶん、遠慮がなくなりやすい。
期待も出るし、うまくいかなくなった時のしんどさも大きい。
あの時の経験は、技術の話だけではなく、
人間関係の勉強にもなりました。
代償はかなり大きかったですけどね。
もうマッサージ店をやりたいとは思わない理由
今の私は、もうマッサージ店をやりたいとは思いません。
理由は単純で、しんどさを知っているからです。
体力勝負。
腰への負担。
そして、またあの痛みが悪化するかもしれないという恐怖感。
その一件があってから、私は床敷きの布団にも寝られなくなりました。
それくらい腰の痛みが強く記憶に残っています。
「またああなったらどうしよう」
という感覚は、今でもどこかにあります。
だから、今からその世界に戻りたいとは思いません。
夢を見た時期があったのは事実です。
でも、実際に体を壊したからこそ、
もう同じ形ではやれないと思っています。
それでも体で覚えたことは、母を助ける時に残っていた
辞めた当初は、
「体で覚えたことは、
いつかどこかで役に立つかもしれない」
という思いが強かった気がします。
でも、時が経つにつれて、その思いも薄れていきました。
普段の生活で使うことはほとんどありませんし、
自分から「やってあげよう」と
思うこともあまりありません。
ただ、今回みたいに
「歩けないから何とかして」
と言われた時は、やってみようと思えました。
そして実際に、母の腰から下を触りながら、
どこをどうやるか、
どこは強くしすぎない方がいいか、
そういう感覚は体に残っていました。
頭で全部覚えていたというより、
体が思い出した感じです。
あの時初めて、
「ああ、消えてなかったんだな」
と思いました。
「ありがとう」と言われて初めて、無駄じゃなかったと思えた
長い間、私はこの修行のことを
「途中で終わったこと」
「物にならなかったこと」
として見ていた部分がありました。
でも母にマッサージをして、
「痛くないし、歩ける」
「ありがとう」
と言ってもらえた時、
その見方が少し変わりました。
人にありがとうと言ってもらえること。
助かったと言ってもらえること。
それができる自分でよかったと、
あの時思えたんです。
もちろん、代償は大きかったです。
腰も痛めたし、気持ちもかなり削られました。
それでも、全部が無駄だったわけじゃなかった。
少なくとも、あの日母を助けることはできた。
その事実があるだけで、
昔の出来事の意味が少し変わった気がしました。
代償は大きかった。でも今の私には少しだけ人を癒せるものが残った
私はもうプロではありません。
マッサージで食べていこうとも思っていません。
店を持ちたいとも思いません。
でも、今の私に少しだけ残っているものがあります。
それは、
人を少しだけ癒せる技術
です。
大げさなことはできません。
でも、誰かがつらい時に、
少しだけ楽になる手伝いができるかもしれない。
それは、自分の中に残ったひとつの財産なんだと思います。
失ったものもありました。
痛い思いもしました。
悔しい思いもしました。
それでも最後に、母を助ける形でその経験が生きた。
そう思えるだけで、
この修行を「ただの失敗」で終わらせなくてよくなりました。
まとめ
20代後半で飛び込んだマッサージの世界は、
思っていたような成功にはつながりませんでした。
腰を痛め、体がもたなくなり、
心配されるどころか責められ、
気持ちまで折れてしまった。
かなり苦い経験だったと思います。
だから長い間、私はこの修行を
「夢破れた話」
として見ていました。
でも、何十年後かに母を助ける形で、
その経験は少し違う意味を持ちました。
全部が無駄だったわけじゃない。
少なくとも、あの日の
「ありがとう」につながった。
それだけでも、あの時間には意味があったのかもしれません。
過去の意味は、あとから変わることがある。
私は今回、そのことを少しだけ実感しました。
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20代後半、私はなぜマッサージの世界に飛び込んだのか
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