こんにちは。
ブラック企業に務めながら
ダブルワークをしていて、
むかし懐かしいファミコン
(FC)がしたくても、
なかなか時間が取れない
元FCゲーマーのナカジです。
50代半ばのおっさんです。

前編では、母の84歳の誕生日に実家へ行き、
坐骨神経痛でつらそうな母に
マッサージをした話を書きました。
母が「痛くないし、歩ける」と
言ってくれた時、私もうれしかったです。
でもあの日、
私が母にマッサージできたのには理由があります。
それは、20代後半の頃に、
私がマッサージ師を目指して修行していた時期があったからです。
今では普段ほとんど使うことのない技術です。
それでも、昔身につけたものは体に残っていました。
今日はその話を書きます。
なぜ私は母にマッサージを頼まれたのか
前編でも少し書きましたが、
母が私に「マッサージしてほしい」と
頼んだのには理由があります。
私は20代後半の頃、
マッサージ師になろうと夢見て
修行をしていた時期がありました。
期間としては1年ほどで長くはありません。
でも、その1年は自分の中ではかなり濃い時間でした。
厳しい世界でしたし、
簡単な気持ちでは続けられないものでした。
結局は自分の体がもたず、
私はその道を途中で辞めることになります。
それでも家族は、
その時のことを覚えていたのだと思います。
当初母は「この時間から開いている整形外科は無いか・・・」
と整形外科にかかろうとしておりましたが、
一緒にいた妹が、一言
「そういえばお兄ちゃんマッサージやってたよね・・・」
この一言で、母は
「私に頼もう」と思ったのです。
普段はほとんど話題にしない昔のことが、
何十年も経って、
こうして母を助ける場面につながるとは、
正直思っていませんでした。
20代後半、マッサージ師を目指して修行した過去
当時の私は、
マッサージの技術を身につけて、
人の役に立つ仕事をしたいと思っていました。
きっかけははっきり一言では言えません。
でも、
手で人を楽にできる仕事というものに、
強く引かれていたのは確かです。
実際に修行に入ってみると、
思っていた以上に厳しい世界でした。
覚えることも多い。
体力も必要。
「畳の上の土方仕事」と言われる大変な仕事でした。
ただ押せばいいわけではなく、
どこをどう触るか、
相手の体がどうなっているかを
見ながらやらなければいけません。
当たり前ですが、
人の体を扱う以上、
いい加減なことはできません。
今来店されたお客様は私から受ける施術は初めてなのですから。
私はその前に5人・10人施術を行っていてもお客様には関係ありません。
疲れているからと言って、
手を抜いてやろうものならすぐに離れて行ってしまう。
厳しい世界でした。
それでも私は、その時は必死でした。
何とかものにしたいと思って、
食らいついていた記憶があります。
厳しい修行と、体がもたずに1年で辞めた現実
でも、現実は甘くありませんでした。
技術を覚える前に、
まず自分の体が壊れてしまいました。
この世界は、
相手の体を見る仕事であると同時に、
自分の体も消耗する仕事でした。
私は続けたい気持ちはありました。
でも、体がもたなくなってしまった。
結局、1年ほどで辞めて帰ってきました。
あの時は悔しかったです。
せっかく修行に入ったのに、最後までやり切れなかった。
なりたかったものになれなかった。
「向いていなかったのかな」と思ったこともあります。
だから長い間、この経験は自分の中で
「途中で終わったこと」として残っていました。
役に立たなかった過去。
続けられなかった過去。
そういうふうに見ていた部分もあったと思います。
それでも、師匠に教わった技術は体に残っていた
でも、不思議なものです。
今回、母を前にしてマッサージを始めた時、
体が勝手に思い出す感覚がありました。
どこをどう触るか。
どこは強くやりすぎてはいけないか。
どのあたりを少し強めにやるか。
特にお尻のあたり、
坐骨神経が通るところは、
昔師匠に教わったことがそのまま残っていました。
頭で全部思い出そうとしたわけではありません。
理屈より先に、体が覚えていた感じです。
もちろん私は今、
プロとして仕事をしているわけではありません。
だから大げさなことは言えません。
でも少なくとも、
あの時身につけたものが
完全に消えていたわけではなかった。
それは今回、はっきり分かりました。
人生で途中で終わったことでも、
全部が無駄になるとは限らない。
そう思わされた瞬間でした。
両親が今暮らしているのは、私が建てて手放した家だった

今回の話には、
もうひとつ私の中で大きいものがあります。
今、両親と弟夫婦が暮らしている家は、
もともと私が建てた家です。
でも同時に、
住宅ローンが払えなくなって手放した家でもあります。
このことは、
私の中でずっと消えない思いとして残っています。
家を建てた時は、当然ですが、
手放すことになるとは思っていませんでした。
でも現実にはそうなってしまった。
両親にはその家への思い入れがありました。
何とかあの家に住み続けられないかと、
友人にも力を借りて、今の形に落ち着いたと聞いています。
だから今も、その家にはいろいろな思いが重なっています。
うれしい思い出だけではありません。
苦しかったことも、悔しかったことも、
全部含まれています。
一緒に住めない申し訳なさは、今も心のどこかにある

本当なら、長男の私がもっと近くで
両親を見られたらよかったのかもしれません。
でも今、私は両親と一緒には暮らしていません。
毎日のように顔を出せるわけでもありません。
それは現実としてそうなっているのですが、
気持ちの上ではやっぱり申し訳なさがあります。
「本当なら」という思いは、
今でもどこかにあります。
親が年を取り、体が弱っていく姿を見ると、
なおさらそう感じます。
父も母も84歳。
しかも妹も病気を抱えながら、
無理をして両親を支えてくれています。
そういう現実を目の前にすると、
自分の中の申し訳なさが消えることはありません。

でも、だからこそ、
あの日できたことは私にとって大きかったです。
ずっと抱えていた思いがあるからこそ、
少しでも手を差し伸べられたことがうれしかったのだと思います。
小さくなった母の体に触れながら思ったこと
マッサージをしている時、
私はふと思いました。
「お母さん、小さくなったな」
昔はもっと大きく見えていた体が、
今は細く、小さく感じました。
それは見た目の話だけではなく、
年齢を重ねた現実を、
手のひらでそのまま感じたからです。
少し切なかったです・・・
でも同時に、だからこそ、
やさしく触れなければと思いました。
強く押せばいいものではない。
年齢も、体の状態も考えながらやる。
そういう感覚も、
昔の修行で身についていたのだと思います。
母が痛みに耐えていたこと。
それでも父の付き添いをしていたこと。
帰ってきて、私が来るまで待っていたこと。
そういうことを思うと、
ただのマッサージ以上の時間だったように感じます。
無駄だと思っていた経験が、昨日あの家で生きた
私はこれまで、自分の過去を振り返った時に、
途中で終わってしまったことを
「失敗」寄りに見ることがありました。
マッサージの修行も、そのひとつだったと思います。
でも昨日、あの家で母に手を当てて、
母が「歩ける」と言ってくれた時、
見方が少し変わりました。
続かなかったことでも、無駄ではなかった。
形にならなかったことでも、残っているものはある。
しかもそれが、一番役に立ってほしい相手に届いた。
それは自分にとってかなり大きなことでした。
遠回りしたこと。
途中でやめたこと。
うまくいかなかったこと。
そういうものの全部に、
あとから意味がつくこともあるのかもしれません。
親孝行できたことが、私は本当にうれしかった
私は今、両親と一緒に住めていません。
長男として十分にできているとは、
とても言えません。
だからこそ、あの日のことはうれしかったです。
果物を持って誕生日祝いに行った。
そこで母の痛みを少し和らげることができた。
プレゼントも喜んでくれた。
父も妹も喜んでくれた。
それだけのことかもしれません。
でも私にとっては、
それだけではありませんでした。
一緒に住めない申し訳なさがあるからこそ、
少しでも親孝行できたと思えたことが、
本当にうれしかったです。
マッサージ代として3000円を渡されたことも、
父から手作りパンをもらったことも、
ただのやり取りではなく、
家族の気持ちそのもののように感じました。
私はお祝いに行ったはずなのに、
逆に心をあたためてもらって帰ってきました。
遠回りした過去にも、意味はあったのかもしれない
若い頃に思い描いた通りの人生には、
とてもなっていません。
途中で諦めたこともあります。
続けられなかったこともあります。
手放したものもあります。
でも、それでも全部が消えるわけではないのだと思いました。
20代後半で身につけたこと。
手放した家への思い。
一緒に住めない申し訳なさ。
そういうもの全部が、昨日という一日に重なっていました。
だから私は、あの日のことを忘れたくないと思いました。
うまくいかなかった過去があってもいい。
遠回りしてもいい。
その経験が、何十年か後に誰かを助けることもある。
昨日は、そんなふうに思えた日でした。
まとめ
前編では、母の84歳の誕生日に実家へ行き、
助けを求められた日の出来事を書きました。
後編では、その時に私が母にマッサージできた理由を書きました。
20代後半に修行したことは、長い間、
途中で終わった経験だと思っていました。
でも今回、その過去が母を助ける形で生きました。
しかもその場所は、私が建てて、
手放した家でもありました。
一緒に住めない申し訳なさもある。
それでもあの日、少しだけ親孝行できたことが、
私は本当にうれしかったです。
過去は変えられません。
でも、過去の意味はあとから変わることがある。
昨日は、そのことを感じた一日でした。
最後までお読みいただきありがとうございました。
▶ 前編はこちら
母の84歳の誕生日祝いに行ったら、助けを求められた日https://ojinblog050.xyz/%e5%89%8d%e7%b7%a8%e3%80%80%e6%af%8d%e3%81%ae84%e6%ad%b3%e3%81%ae%e8%aa%95%e7%94%9f%e6%97%a5%e7%a5%9d%e3%81%84%e3%81%ab%e8%a1%8c%e3%81%a3%e3%81%9f%e3%82%89%e3%80%81%e5%8a%a9%e3%81%91%e3%82%92%e6%b1%82/

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