ファミコンが我が家にやってきた時の話

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こんにちはブラック企業に務めながらダブルワークをして

ほとんどゲームが出来ない元ファミコンゲーマーのナカジです。

私は50代半ばのおっさんで中学生当時は勉強嫌いで

毎日毎日ゲームに明け暮れておりました。

そんなきっかけとなった事のお話です。

今回は懐かしの任天堂ファミリーコンピューター 通称”ファミコン”が

我が家に来た時のお話しをします。

40代50代の男性の方に「あ~こんなこともあったかな~」

なんて思って読んでいただければ嬉しいです!

結婚記念日や初めてデートした記念日など忘れてしまいがちに・・・

ですがファミコンが来た日の事は昨日の事ように鮮明に覚えております。

当時私が中学生の頃クリスマスプレゼントとして親にねだりました。

思えば小学校低学年の時

近所のお金持ちの子が持っていた

テレビゲーム「テーブルテニス」

~どんなゲーム?~

このゲーム機はエポック社というメーカーから1975年に発売されたものです。

画面に表示される左右に飛びかうボールを、

2人のプレイヤーが据え置き型のコントローラーを操作して

画面左右それぞれの端にある縦長のバーを上下に動かし、

ピンポン(卓球)のように互いに打ち合うというシンプルなゲーム。

近所の友達はこのゲームを見せびらかせただけで

遊ばせてくれませんでした。

見せてくれるんなら

遊ばせてくれたっていいじゃないか!

けちー!

くやしー!!

これがトラウマ?になったかはわかりませんが

これを見てからテレビゲームが欲しくて欲しくて・・・

それがスタートでした。

もうかれこれ40数年前の事です・・・

歴史を感じます・・・

私の家族構成

父 

私(長男)当時中学生

6人家族

妹や弟は小学生だったのでサンタクロースの存在を信じておりました

たぶん・・・

テレビCMでファミコンの存在を知り

その年のクリスマス商戦の広告で見つけました。

クリスマスプレゼントに乗じて

ねだれば買ってもらいやすくなると踏んだのでした。

兄弟にも根回しをしてみんなファミコンが良い~!

って口裏を合わせました。

我ながら

ファミコン欲しさに考えました

人気商品で町のおもちゃ屋さんにはすでに品切れ状態でどこにもありません。

隣町の駅前にあるイトーヨーカ堂の広告に「先着50台限り」とありました。

これに掛けるしかない!!

心に誓ったのでした。

手に入れるぞ!!

販売前日に隣町に住んでいる親戚の家に泊まらせてもらい

朝4時起床

4時半には整理券配布場所に着いておりました。

普段こんなに早く

起きたことなんかありません

品物を買うために並ぶなどこれが初めての経験でした。

初冬の朝は暗くとても寒かったと思いますが

ファミコンを手に入れる事で頭がいっぱいでその感覚もあまり無かったように思います。

なんと一番乗りでした。

あ~

これで念願のファミコンが手に入る~

並んでいる間中ずっとニヤニヤしていたと思います。

開店は10時。

時間が経つにつれ並んでいる列がみるみる長くなり

先頭が自分だなんてなんだか怖くなりました。

あわわ・・・

こんなに並んでる~

待っている間の数時間が早かった事。

開店30分前から整理券を配り始め

当然私の整理券は”1番”

今となっては

記念に取っておけば良かったな~・・・

余裕でおもちゃ売り場の5階に向いました。

整理券と引き換えに本体を手に入れました。

あの充実感・達成感

今でも忘れません!

『やったー!!』

ゲームソフトも1本一緒に買いました。

何本も欲しかったのですが

あの当時ソフトは1万円位しておりました。

とても中学生のお小遣いでは1本くらいしか買えません・・・

購入したゲームナムコの「ゼビウス」です。

完全に私のチョイスです。

兄弟皆クリスマスプレゼントで喜びはしたのですが

こんなシューティングゲーム興味も示しませんでした^^;

みんなのクリスマスプレゼントのはずなのに・・・

まんまとファミコンを手に入れ

ファミコンゲーマーが誕生したわけです。

こんな記事を書いていると

久々にゼビウス

やってみようかな~

となるわけですが・・・

次回『地デジのテレビにファミコン繋がらないやんけ~』に続く

おわり

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